田中舘愛橘と磁気嵐急始の問題
永野 宏[1], *佐納 康治[2]
朝日大学歯学部[1]
朝日大学経営学部[2]
On Aikitu Tanakadate's Contribution to the Advancement of Studies on Sudden Commencements of Geomagnetic Storms
Hiroshi Nagano[1]
,*Yasuharu Sano [2]
School of Dentistry, Asahi University[1]
School of Business Administration, Asahi University[2]
This paper reveals the international and domestic activity of
Aikitu Tanakadate (1856-1952) on the subject of SC’s of geomagnetic
storms for three periods.
In the first period (1903-1923), he made efforts for the establishment
of geomagnetic observatories in Japan to observe SC’s and geomagnetic
pulsations.
In the second period (1924-1930), he took an active part in
SC investigation as the chairman of the international committee
of magnetic storm SC, on the recommendation of L.A. Bauer.
In the third period (1930-1940), he took again an active part
in SC investigation at the time of the Second International Polar
Year (1932-1933).
当学会は1947年の設立であるが、学会設立以後は、いつ、誰により、
どのような研究がなされたか比較的はっきりしている。それに対し、
学会設立以前に我が国で行われた地球電磁気学の研究については、
充分な調査研究がなされておらず、その科学史的意義の評価も行われ
ていない。我々はこの点に着目し、明治〜昭和初期にかけての本邦に
おける地球電磁気学の発展史について調査してきた。
その調査研究で明らかになった事柄の一つに、SCの開始時刻につい
ての研究が挙げられる。このSCの問題では、田中舘愛橘が国際的なSC 委員会の委員長となり、問題解決のために活躍した。本報告では、田
中舘がSC問題と関わった時期を3期に分けて、各期での田中舘の活躍
を明らかにする。
先ず第T期(1903-1923)においては、万国測地学協会の総会で、
敏感な自記磁力計により地磁気の急激な変化を研究することが問題と
なった(1903)ことから、田中舘は震災予防調査会の仕事として、京都
上賀茂や三崎油壷でSCや地磁気脈動の観測を試みた。
国際的にはこの時期、SCを詳しく観測して各地ほぼ同時に起こ
るという定性的な研究発表がなされたのに対して、L.A.Bauerは定量
的な研究からSCの伝播性を主張した(1910)。このことが多くの研究者
の注目を集め、Nature誌に次々に論文が掲載されるほどの大論争と
なった。これは、磁気嵐の機構を考える上で重要な問題であり、更
には、当時、地磁気の本質を明らかにする上でも、このSCの現象解明
がその手がかりを与えるかも知れないと考えられたためであった。
そこでBauerは、さらに多くのデータを集めて発表した(1911)が、
この研究からでも、SCの開始時刻の問題に決着は付かなかった。この
時期、田中舘は、SC研究のこの国際的なネットワークには未だ参加し
ていなかった。
次の第U期(1924-1930)においては、1924年に開催された
IGGU(IUGGの前身)の会議で、BauerによりSCについての国際的な研究
計画が提案され、組織化が行われていった。Bauerは田中舘をこの
計画の委員会の委員長に推薦した。委員会は、新しい観測機械を
開発し、世界中の主要な観測所にそれらを設置することを決めた。
田中舘は各国の地磁気学者の意見の取りまとめを行い、会議で報告を
行う(1926,1928)など、この計画の推進に大いに尽力した。しかし
ながら、資金不足とBauerのカーネギー研究所での地位喪失などが
原因で、この計画は断念せざるを得なくなった。この時期、我が国で
は、田中舘の指導の下に、小野澄之助がSCを精密に観測するための
高感度磁力計の製作を行った(1927)。
最後の第V期(1931-1940)においては、第2回国際極年観測
(1932-1933)が計画され、再度SCの開始時刻の問題が調査された。
田中舘は国際SC委員会の委員長としてこの問題で中心的に活躍した。
我が国では、中央気象台で今道周一らが早廻し高感度磁力計を製作
し、柿岡・豊原・青島で観測を行った。また、小野も下田で観測を
行った。これらのSCに関する観測データは、世界の他の観測所の
データとともに田中舘により国際会議で報告された(1934)。早廻し
高感度の磁力計により観測精度は上がったが、SCの波形には幾つもの
タイプがあったため、正確な開始時刻を決めることは依然として難し
かった。このために、田中舘の国際的な活躍があっても、未だSCの
開始時刻の問題の決着には至らなかった。