出来事第一次南極予備観測隊出発
昭和31年(1956)11月8日
内容 我が国の初期のIGY計画には、南極観測は無理ということで含まれてはいなかった。しかし、日本も南極に基地を設置して観測を行いたいという要望が国内から出されるようになった。

昭和30年(1955)9月にブリュッセルで開かれたCSAGI第2回南極会議において、日本代表の長谷川万吉、永田武らは日本の南極観測参加の申し入れを正式に行った結果認められて、プリンスハラルド海岸における観測を要請された。

南極観測が国際的に承認されたことにより、早速、国内に種々の委員会が設置されて、準備に当たった。また、観測隊員の人選も行われ、隊長には東大の永田武、副隊長には京大の西堀栄三郎が決まった。

これらの準備を経て、昭和31年(1956)11月8日、我が国初の南極観測船「宗谷」(満載排水量4,600トン、エンジン4,800馬力)が観測隊員53名、乗組員77名、計130名を乗せて東京港を出港したのであった。

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