出来事第一回国際極年(1st IPY)に自主参加
明治15年(1882)〜明治16年(1883)
内容 オーストリアの海軍大尉であり、北極探検家でもあったヴァイプレヒト(C. Weyprecht)が、1875年に、極地に観測点を環状に配置して科学的な同時観測を行うことを提案したのが始まりである。観測期間は、明治15年(1882)8月1日から明治16年(1883)8月31日までであった。

フランスの学者アンリー・ベクレル(A.H. Becquerel)が、国際極年観測の時期に合わせて日本もこのような観測を行えば、科学の発展のために極めて有意義であろうと、日本政府に勧告したことから、我が国でもこの観測に自主的に参加することになった。

  • 農商務省地質調査所による日本全国地磁気測量 。
    農商務省地質調査所では、お雇い外国人ナウマン(E. Naumann)の提案で、明治15年(1882)8月から明治16年(1883)8月にかけて、カールバンベルグ社製携帯型磁力計を用いて全国各地で地磁気3成分すべての測量を行った。

  • 海軍水路局観象台(麻布飯倉)での地磁気観測。
    海軍水路局では、東京麻布飯倉の観象台構内(現:東京都港区麻布台2丁目の経緯度原点が置かれている所)で、明治15年(1882)11月1日より明治16年(1883)10月16日まで地磁気3成分の観測を行った。使用機器としては、ユニファイラ磁力計、キュー型伏角計、ディップサークルが用いられた。

  • 内務省地理局と工部省電信局共同の地磁気観測。
    明治16年(1883)3月15日から1年間、工部省用地のあった麻布今井町42番地(現:東京都港区六本木2丁目1番地のアメリカ大使館職員宿舎用地のある小高い丘)で地磁気観測を行った。使用された測定機器についての詳細は不明であるが、電信局製機所で製作した手製のものであったらしい。

  • この他、工部省電信局では、長崎−釜山間の海底電信線を利用した地電流の観測も行った。

各国は、今後も、このような国際協同観測を50年おきに行うことを申し合わせて、観測を終了した。

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