出来事第二回国際極年観測(2nd IPY)
昭和7年(1932)〜昭和8年(1933)
内容 明治15年(1882)の第一回国際極年の申し合わせに従って、昭和7年(1932)から昭和8年(1933)にかけて、第二回国際極年観測が行なわれた。

観測期間は昭和7年(1932)8月1日から昭和8年(1933)8月31日までと定められた。

第二回国際極年観測は、もともと気象学の方面から発案されたため、国内でも、まず気象関係に参加の呼びかけがあった。そのため、中央気象台では、自分たち気象関係だけで、第二回国際極年観測を行う準備をしていた。ところが、田中舘愛橘が、第二回国際極年観測を学術研究会議や航空評議会の問題として取り上げ、実行委員会を作って各方面に参加を呼びかけたので、大学や研究所なども観測に参加することになった。

  • 中央気象台の観測。
    従来からあった柿岡地磁気観測所、中国のチンタオ(青島)測候所に加えて、樺太の豊原にも臨時の地磁気観測所が作られ、地磁気、空中電気、地電流の観測などを行った。

  • 京都帝国大学の観測。
    京都帝国大学では、阿蘇でマスカール型磁力計を用いて地磁気の観測を行った。

  • 東北帝国大学での観測。
    東北帝国大学では、向山観象所で観測を行った。絶対測定はキュー式磁力計を用いてガウスの方法で行われ、水平分力と偏角とを測定した2組の自記磁力計は自作であったという。

  • その他の観測。
    東京文理大学が伊豆の下田で地磁気観測を行った。また、海軍技術研究所と逓信省電気試験所平磯出張所とが電離層観測を行った。

  • 水路部の第3回磁気測量
    水路部の磁気測量は、明治45年(1912)から大正2年(1913)にかけて行われた第1回磁気測量以来、10年おきに行われていた。従って、第3回の磁気測量の期間が昭和7年(1932)から昭和8年(1933)となり、偶然にも第二回国際極年観測の期間と重なることになった。

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