出来事田中舘愛橘逝去(95歳)
昭和27年(1952)5月21日
内容 我が国の地球電磁気学の開祖である田中舘愛橘は、幕末の安政3年(1856)、陸奥国二戸郡福岡町(現:岩手県二戸市)で生まれた。

明治9年(1876)、東京開成学校の予科に入学、明治11年(1878)に東京大学理学部数学,物理学及星学科に入学した。明治15年(1882)7月に東京大学理学部物理学科を卒業、それと同時に準助教(現在で言う助手)に採用された。明治16年(1883)には、東京大学助教授に昇任した。

明治21年(1888)から明治24年(1891)までイギリスとドイツに留学、帰国後すぐに帝国大学理科大学教授に任命された。

この後、25年にわたって教授を務め、地球電磁気学はもとより、測地学、航空工学、ローマ字運動など多岐にわたって情熱的に活動したが、大正6年(1917)に東京帝国大学を退官し、名誉教授となった。

田中舘愛橘は退官後も各種委員会の委員長を歴任し、また地震研究所などに出入りして後進の指導につとめ、日本の地球電磁気学の発展に極めて多大の貢献をなした。

しかし、不幸にも昭和27年(1952)になって発病し、同年5月21日、東京の自宅で逝去。享年95歳であった。葬儀は、東大安田講堂で日本学士院により学士院葬として無宗教で挙行され、多数の弔慰の人々の列が続いたという。病名は脳の軟化症ということであったが直接死因は肺炎であった。

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